箪笥のこやし

フィギュアレビュー・アニメ・漫画・映画感想メインのブログです。多分。モチベーション低下中。

新アニメ「どろろ」の不満点

誰も読まない(読みたくない)と思うのでこっちに書きます。

どろろの不満な点について。

原作はもちろん大好きですが、それと比較してではなくこのアニメ単体での不満点です。

ネガティブな感想なのでご注意を。

 

 

描きたいこと

22話まで視聴して感じたのが、今作で描きたいことがはっきりしないということです。

家族愛や家族の確執を描きたいのか、大勢の幸福の為に一人が犠牲になることの是非を描きたいのか、百鬼丸の成長を描きたいのか、それともその全部なのか。個人的には、どれも中途半端に描かれているようにしか見えません。それで全体がとっちらかった印象になっています。

それ以上に問題なのが、細かい描写をされるどろろと百鬼丸以外のキャラクターです。醍醐景光や縫の方も、セリフばかり先行してすとんと心に入ってくる描写が上手く出来ていない。脚本家が物語を動かすためのただの駒に見えてしまうことあります。

 

 

爽快感を得られない、フラストレーションが溜る物語

百鬼丸の成長の遅さ

そして今作での最大の問題点、それは百鬼丸に対して感情移入することが難しいことだと思うんですよ。

なぜかというと、作中で彼の成長がゆっくりとしか描かれず、また喋らないことによって内面が非常に分かりにくいキャラクターになっているからです。

例えば、4話での百鬼丸田之助に対しての冷淡さ。1クール目は、まだ聴覚を取り戻してすぐの出来事で仕方ないと思えましたが 、2クール目後半でも敵対する他者に対しての対応は一貫して変わらず、同情も容赦も無いままです。6話や20話、22話での彼のふるまいは、憤りもあって無慈悲といってもいい程です。

なぜならば、22話に至るまで百鬼丸の内面は子供のままで「共感性」「社会性」が育っていないからです。それは想像力の欠如といってもいいかもしれません。

また百鬼丸にとっての他者と世界は非常に狭く描かれています。

彼は特に必要が無ければどろろ以外の人間と関わることもめったにありません。(それも、どろろ彼の希望の光として際立たせるための構成なのかもしれませんが・・・)

 

人間の成長を描いた作品で私が思い出すのが堤抄子先生の「アダ戦記に出てくる主人公アダ。

彼は城の牢獄に幽閉され、与えられるまで名も無く、言葉も外の世界も知らない人間でした。

この作品では、無垢なる子供であった彼が外界へ出て殺人を犯したり、人々と触れ合っていく中で彼なりの善悪の彼岸を学び成長していく様が丁寧に描かれていきます。

百鬼丸も作中でこういった描かれ方をしていれば視聴者がより感情移入出来るキャラクターになったに違いないんですが・・・。

敢えてそういった成長する描写を入れず、感情移入しにくいキャラクターにしている所を見ると製作陣が描きたいことはもっと別にあるのかなぁとも思うんですが(希望的解釈)

 

なぜ人を殺してはいけないのか

殺人が忌避される行為であるというのは3話で描かれてはいます。

ですが、語られる弊害は寿海の「周りから人がいなくなる」や、どろろ百鬼丸が変わるのが怖い、鬼神になる」、琵琶丸さんに至っては「せいぜい気をつけな」という・・なんともはっきりしないんですよね。

これじゃ百鬼丸が言うことを聞くわけがないんですよ。

その半面、百鬼丸が醍醐の兵を殺戮する場面は、痛みをともなうような描き方をしています。

殺人の善悪を論じたいわけじゃなく、その残酷な行為によって劇中の人間が言うように鬼神になると言いたいのかもしれませんが・・。そこを突っ込んでどろろや周囲の人間が百鬼丸にはっきり説明をして欲しかったですね。なんかモヤモヤするんですよ。

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アダ戦記 1 (IDコミックス ZERO-SUMコミックス) 堤 抄子 (著)
アダ戦記: 1 (ZERO-SUMコミックス)

アダ戦記: 1 (ZERO-SUMコミックス)

 

 

うーん、まとまらないw

まぁ、好きな回もいっぱいあるし、今作のどろろと百鬼丸の事は好きなので、 もちろん下巻も買います。ですが、全体としての評価は私の中では22話視聴後落ちてしまいました・・・。

ちなみに個人的にちょっと・・な回は4話、8話、9話、12話、13話、15話、18話です。